徳川家康が最も恐れた武将とは?
徳川家康は関ヶ原の戦いを勝利で飾り、江戸幕府をつくったことから、戦国時代を代表する大名の一人です。しかし、その冷静沈着な性格の裏で、ただ一人「本気で恐れた」とされる武将がいます。それが山県昌景、武田信玄に次ぐ武田軍の柱ともいわれる猛将です。
山県昌景は赤備えの指揮官として名を馳せ、その戦いぶりは「赤鬼」と呼ばれるほど鬼気迫るものでした。特に三方ヶ原の戦い(1573年)では、家康の軍が武田軍に壊滅的に敗れ、家康は命からがら逃げ延びる有様でした。その際、昌景の名を耳にした家康は、後に「あれほど恐ろしい思いをしたことはない」と語ったという伝承が残っています。
実際、家康は昌景の死後も、彼の名を口にするのを嫌がったという逸話があります。戦国の覇者となった男が、たった一人の武将の名前を恐れる――その話は、昌景の圧倒的な存在感を物語っています。
武田信玄ですら「我が軍の楯」と評した昌景。彼の忠義と戦いぶりは、敵であった家康の心にも深く刻まれたのです。歴史に「もし」は禁句ですが、もし昌景が長く生きていたら、戦国の行方も変わっていたかもしれません。
コメント
まだコメントはありません。最初のコメントを投稿しましょう。