日本全国に数多ある城郭の中でも、国宝に指定されている五つの名城。その中で最も古いのはどこか。結論から言えば、犬山城が天文6年(1537年)の築城とされ、最古の座に君臨している。しかし、建築学的な変遷や増改築の経緯を考慮すると、単純な年代表だけでは語り尽くせない奥深いドラマがそこには隠されているのだ。単なる歴史の羅列に留まらず、石垣一つ、瓦一枚に宿る武将たちの執念を掘り下げていこう。

歴史の荒波を耐え抜いた「現存天守」という奇跡

明治の廃城令や戦災、そして度重なる天災。日本の城郭が辿った道は、まさに受難の連続であった。かつて全国に数百を数えた天守の中で、江戸時代以前からの姿を今に伝えるのは、わずか12基。その中でも「国宝」の冠を戴く姫路城、松本城、彦根城、犬山城、松江城の五城は、文字通り別格の存在である。我々が今、これらの城を見上げることができるのは、決して当たり前のことではない。

ここで重要なのは、「いつ建てられたか」という問いに対する定義だ。天守が完成した年なのか、あるいは主要な構造が組み上がった年なのか。例えば松江城は、かつては慶長16年(1611年)完成とされていたが、2012年に発見された祈祷札により慶長16年の完成が裏付けられ、国宝昇格への決定打となった。こうした新発見が歴史を常に塗り替えていく点に、城郭研究の醍醐味がある。古い順に並べると、犬山城、松本城、彦根城、姫路城、松江城という流れが一般的だが、各城の「古さ」の質は、それぞれに異なる個性を放っている。

国宝五城の編年:中世から近世へ移ろう城郭構造

犬山城が放つ中世の香りは、その「望楼型」という構造に色濃く反映されている。天守の最上階に回縁(まわりえん)を巡らせ、周囲を一望するその姿は、後の近世城郭が持つ整然とした美しさとは一線を画す、実戦的かつ荒々しい佇まいだ。木曽川の断崖に立つその威容は、織田信康が築いた当時の緊張感を今に伝えている。

一方、松本城に見られる黒漆塗りの外観は、文禄年間という戦国末期の空気を色濃く反映している。白漆喰の姫路城とは対照的な「黒」の美学。これはまだ、火縄銃による攻撃を想定し、壁の強度を保つための実利的な選択でもあった。慶長年間に完成を見た彦根城や姫路城へと時代が下るにつれ、城は単なる防御施設から、徳川の治世を知らしめるための「権威の象徴」へと昇華していく。築城技術の極致とも言える姫路城の連立式天守は、慶長14年(1609年)にその完成を見たが、それは戦国という時代の終焉と、様式美の完成を同時に告げる咆哮であったと言えるだろう。

建築様式が物語る、古参城郭たちの真実の姿

国宝五城を比較する際、築造年代の数字以上に注目すべきは、その「工法」に刻まれた時代の痕跡だ。犬山城の古材を詳細に分析すると、室町時代の特徴を残す部材が随所に見受けられる。これは、後の時代の改修時にも、古い伝統をあえて継承しようとした職人たちの意地が見て取れる。建築学的な視点に立てば、部材の風化具合や、接合部の加工技術(仕口や継手)の精度こそが、文書に頼らない真実の年代を語り出す。

例えば、松江城で見られる「包板(つつみいた)」の技法。これは柱の割れを隠し、補強するためのものだが、良質な巨木が手に入りにくくなった時代背景と、それでもなお巨大な天守を支えようとした不屈の設計思想を物語っている。古い順に並べるという行為は、単なるランキング作りではない。それは、日本人がいかにして「木と石」という限られた素材を用い、極限の強度と美しさを追求してきたかという、技術革新の系譜を辿る旅に他ならないのである。国宝五城を古い順から眺めていくとき、我々はそこに、単なる建物の変遷ではなく、一つの文明が成熟していく過程を目の当たりにすることになるのだ。

国宝城郭に関するよくある落とし穴と専門家のアドバイス

国宝5城を「古い順」に並べる際、多くの人が陥る罠が「築城年」と「現存天守の建造年」の混同です。例えば、名古屋城や大阪城は歴史自体は非常に古いですが、現在の天守は再建されたものであるため、現存天守を対象とした国宝の議論には含まれません。専門的な視点で見ると、単に完成した年だけでなく、「主要構造部がいつの時代のものか」を見極めることが重要です。

専門家のアドバイスとしては、登閣の際に「柱の削り跡」や「継手の技法」に注目することをお勧めします。犬山城のように古い年次を誇る城では、部材に荒々しい手斧(ちょうな)の削り跡が残っていることが多く、江戸中期以降の整えられた木材とは明らかに質感が異なります。これら建築考古学的な証拠を肌で感じることで、文献上の数字以上の歴史の重みを理解できるはずです。

よくある質問(FAQ)

Q1:犬山城と松本城、結局どちらが最古なのですか?

A:長年、犬山城が1537年建造で最古とされてきましたが、近年の年輪年代測定法により、松本城の乾小天守が1590年代前半、犬山城が1600年頃という解析結果も出ています。しかし、様式美や構造の古拙さから依然として犬山城を「最古級」とする説が根強く、学術的な議論は今も続いています。

Q2:なぜ国宝の城は5つしかないのですか?

A:文化財保護法における「国宝」は、世界的な価値があり、かつ江戸時代以前の建造物が当時のまま残っている(現存天守)ことが条件となります。現存天守は全国に12しかなく、その中でも特に歴史的意義、意匠、技術的完成度が極めて高いと認められたものだけが国宝に指定されています。

Q3:彦根城や姫路城が「古い」と言われる理由は?

A:これらは関ヶ原の戦い直後に建てられた「慶長期」の完成形とされるためです。古いといっても、初期の簡素な造りから、軍事拠点としての機能と権威を象徴する美が融合した、日本の城郭建築の黄金時代の到達点として評価されています。

総評:専門家が読み解く「古さ」の価値

「古い順」を追うことは、日本の戦国時代から近世への変遷を辿る旅そのものです。数字上の最古を競うだけでなく、「なぜその時代に、その形で建てられたのか」という背景に目を向けてください。犬山城の望楼型に見られる荒々しさから、姫路城の洗練された連立式天守への進化は、まさに日本の平和への道程を物語っています。時代を超えて残った木材の香りと揺るぎない威容こそ、私たちが守るべき至宝なのです。