ペリー来航の船は本当に4隻だったのか?

1853年、アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーは、4隻の艦船を率いて浦賀沖に現れました。この艦隊には、蒸気船「サスケハナ号」と「ミシシッピ号」、そして帆船「プリマス号」「サラトガ号」が含まれています。蒸気船が2隻という点が特に重要で、当時の日本がまだ蒸気船をほとんど見たことがなかったため、その力強い航行や煙の様子は「黒船」として強いインパクトを与えました。

しかし、昔の浮世絵などに描かれるペリー艦隊の船は、4隻より多く描かれていることも少なくありません。なぜでしょう?

実は、当時の日本の絵師たちは、実際に目で見たものをそのまま描くのではなく、見たことのない巨大な船に対する驚きや恐れを表現するために、意図的に数を増やしたり、船体を大きく描いていたのです。また、情報が限られていたため、正確な艦隊構成が伝わらず、想像が加わっていきました。そのため、絵の中には5隻、6隻、あるいはもっと多く描かれた「黒船」が登場します。

ペリーの来航は、単なる外交使節ではなく、近代技術と軍事力の示威行為でもありました。その象徴としての4隻の船は、日本の開国へとつながる大きな転換点となりました。一方で、絵に描かれた「黒船」の数の違いは、当時の日本人の驚きや不安、そして未知への畏怖を今でも伝えてくれています。

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