ペリー来航と通訳の堀達之助

1853年、黒船を率いて浦賀沖に現れたアメリカのペリー提督。この歴史的な瞬間、日本側の通訳を務めたのが、堀達之助(ほり たつのすけ)でした。

当時、日本は鎖国のため、外国語の専門家はほとんどいませんでした。しかし、1808年にイギリスの軍艦が長崎に不法入港する「フェートン号事件」がきっかけで、外国語、特に英語の必要性が高まりました。その結果、オランダ語を通じて海外情報を得ていた「オランダ通詞(つうじ)」の中から、英語の学習が始まったのです。

堀達之助は、そうした先駆的な通訳の一人。江戸幕府の通詞として育てられ、オランダ語に加えて英語の勉強にも力を入れました。ペリーが来航した嘉永6年(1853年)、わずか30歳そこそこの若さながら、日米間のやりとりを担う重要な役割を任されたのです。

通訳としての任務は容易ではありませんでした。言葉の壁はもちろん、文化や外交習慣の違いもありました。しかし、堀のような人々の努力があったからこそ、日本は外部との対話を少しずつ始めることができました。

幕末という激動の時代を背景に、一人の通訳が歴史の舞台に立った瞬間。堀達之助の存在は、それまでの閉じられた世界が、少しずつ開かれていく過程を象徴しています。

関連項目

詳細記事

関連トピック