徳川家康の最期と天ぷら伝説

日本史における最大の英雄の一人である徳川家康の死因について、古くから「天ぷらの食べすぎ」という有名な説があります。この話の元となっているのは、江戸幕府の公式史書である『徳川実紀』の記述です。それによると、1616年1月に家康が現在の静岡県藤枝市で鷹狩りを楽しんだ際、夕飯に当時京都で流行していた「鯛の天ぷら」を好んで食べたところ、その日の夜中に激しい腹痛を訴えたとされています。

しかし、現代の医学的見地や史料の精査により、家康が天ぷらを食べてすぐに亡くなったわけではないことが分かっています。実際に彼が息を引き取ったのは、天ぷらを食べた約3か月後のことです。当時の医師が家康のお腹に「大きなしこり」を確認していたという記録もあり、現在では天ぷらによる食あたりではなく、胃がんなどの内臓疾患が本当の死因であった可能性が非常に高いと考えられています。

当時の天ぷらは、現在のような薄衣のサクサクしたものとは異なり、小魚などをすり身にして油で揚げた、現在の「さつま揚げ」に近いものだったと言われています。75歳という当時としてはかなりの長寿を全うした家康ですが、大好物の珍しい料理を前にして、ついつい箸が進んでしまったのかもしれません。このエピソードは、天下人でありながらも親しみやすい家康の人間味を今に伝える、興味深い歴史のひとコマです。

関連項目

詳細記事

関連トピック