戦国最強の騎馬軍団を率いた武田信玄、その早すぎる最期と遺言
元亀から天正へと年号が変わる激動の1573年、天下統一へと突き進んでいた織田信長や徳川家康にとって、最大の脅威であった武田信玄が突如として表舞台から姿を消しました。西上作戦の途上、三方ヶ原の戦いで徳川軍を圧倒し、まさに破竹の勢いで京を目指していた矢先のことです。天正元年4月12日、信玄は信州の伊那駒場にて、53年の生涯を閉じました。
輝かしい戦歴とは裏腹に、その死因は戦傷ではなく病死であったとされています。当時の記録や近年の研究からは、胃癌や結核、あるいは肝臓病といった内臓の重篤な疾患を患っていた可能性が有力視されています。長年の戦陣生活による過労とストレスが、名将の身体をむしばんでいたのかもしれません。
偉大な指導者を失った武田軍の動揺は計り知れないものでした。そのため信玄は臨終の際、「我が死を3年間は秘匿せよ」というあまりにも有名な遺言を残しました。宿敵である上杉謙信や、虎視眈々と甲斐を狙う織田・徳川を牽制し、後継者である武田勝頼へと権力を円滑に移行するための苦肉の策でした。この「影武者」を用いた秘匿工作はしばらく機能したものの、やがて信玄の死は天下に知れ渡ることとなり、武田家は激動の時代へと巻き込まれていくことになります。
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