虹はいつから七色になった?

「虹は七色」と聞くと、多くの人が頭に浮かべるのは、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の順にかかる美しい弧。でも、実は昔の日本では、虹の色の数が今と違っていたのです。

室町時代には「五色」、もっと古い記録では「紅と緑」だけとされることがありました。中国の思想や陰陽五行説の影響を受け、色の数にも象徴的な意味が重ねられていたため、虹の色も科学的な観察というより、文化的な解釈で語られていたのです。

しかし、明治時代になると様子が変わってきます。1891年に出版された日本初の国語辞書『言海』には、「虹は七色(紫、紺、青、緑、黄、柑、赤)」と明記されました。これが後の教育や一般の認識に大きな影響を与え、「虹=七色」というイメージが広く定着していったのです。

この七色の考え方は、ニュートンがプリズム実験で光のスペクトルを七色に分けた西洋の影響もあると言われています。日本独自の感性と、近代化の中で取り入れられた外国の知識が重なって、「七色の虹」のイメージは作られてきました。

つまり、「虹が七色」というのは、自然の現象というよりも、ある時代の文化と学問が結びついた結果だったのです。昔の人は、虹を今とは違う色で見ていたのかもしれませんね。

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