厚生労働省の統計を紐解くと、日本の離婚件数は年間約18万件にのぼり、再婚カップルの比率も全体の約4分の1を占める時代となりました。その中で時折耳にする「バツ3」という言葉は、文字通り「3回の離婚歴があること」を指す俗称です。社会的スティグマとして捉えられることもあれば、経験の多さとして語られることもあるこの概念。単なる回数の数字以上に、戸籍上の手続きや個人の生き方において極めて複雑な背景を含んでいます。

バツ3という言葉の成り立ちと歴史的背景

この言葉の根底にある「バツ」という表現は、かつて紙媒体で管理されていた日本の戸籍制度に直接由来します。1994年の戸籍法改正以前、夫婦が離婚して婚姻届を提出した際、戸籍筆頭者ではない配偶者の名前が元の戸籍から抹消される際、文字通り欄の上に赤い「×(バツ)」印が手書きで付されていました。

1980年代後半、明石家さんま氏をはじめとする著名人が自身の離婚を自虐的なユーモアを交えて「バツイチ」と表現したことで、この言葉は瞬く間に全国へ浸透しました。以降、離婚回数が重なるにつれて数字が増加し、「バツ2」「バツ3」といった派生語が自然発生的に定着したのです。現在ではコンピューター化された戸籍謄本(全事項証明書)に直接的な「×」マークが印刷されることはなくなりましたが、記号的な名残と言葉のインパクトは今なお強く残っています。

離婚手続きが「バツ3」に至る構造的プロセス

婚姻と離婚を3回繰り返すプロセスは、法的手続きの観点から見ると明確なステップを踏んでいます。最初のステップは「協議離婚」または「調停・裁判離婚」による法的関係の解消です。当事者間で条件が合意に達した場合、市区町村役場へ離婚届を提出することによって1回の履歴が確定します。

次に発生するのが戸籍の改編手続きです。配偶者の氏を選択していた側は、婚姻前の氏に戻る「復氏」を行うか、あるいは婚姻時の氏をそのまま称する手続きを選びます。これに伴い、既存の戸籍から除籍され、新しい戸籍を作成するか親の戸籍へ復籍することになります。この一連の「婚姻、戸籍の編入または新編、離婚、除籍」という一連のサイクルを完全に3回繰り返すことで、公的な書類上にも3回分の異動記録が明確に刻まれることになります。

具体的なケーススタディ:3度の婚姻と解消を経た人物の記録

ここで、実際の事例を模した具体的なケースを提示します。40代後半の会社員A氏は、20代半ばで最初の結婚を経験しました。価値観の相違から3年で1度目の離婚(バツ1)となり、元の戸籍から除籍されます。その後、30代前半で仕事を通じて知り合った2人目の配偶者と再婚しましたが、生活リズムの不一致により5年後に協議離婚(バツ2)へ至りました。

さらに40代前半で3度目の婚姻届を提出したものの、性格の不一致や将来像の不整合が原因で2年後に再び離婚が成立。これによりA氏は法律上および社会的に「バツ3」の履歴を持つこととなりました。A氏の戸籍原本には、3回にわたる婚姻届の受理記録と、それぞれに対応する離婚通知および除籍の記録が克明に記載されており、これらは除籍謄本を取得することで過去のすべての推移を正確に確認することができます。

専門家が語る「バツ3」の真実

結婚と離婚を3回繰り返した「バツ3」という状態について、心理カウンセラーやパートナーシップの専門家は単なる「失敗の連続」とは捉えていません。専門家によると、離婚を重ねる背景には自己理解の不足や特定のコミュニケーション依存が存在することが多いと指摘されます。一方で、自らの課題に向き合い、過去の経験を深く省みることができている人物であれば、柔軟性や人を受け入れる寛容さを身につけているケースも少なくありません。大切なのは「何回離婚したか」という数字ではなく、「過去の失敗から何を学び、どう成長したか」というプロセスの質です。

よくある質問(FAQ)

Q1: バツ3の人と再婚してうまくいきますか?

再婚が成功するかどうかは、お相手が過去の離婚原因を自分自身の問題として分析できているかにかかっています。すべての原因を元パートナーのせいにする傾向がある場合は注意が必要ですが、自らの反省点を明確に語り、具体的な変化行動をとっているなら、成熟したパートナーシップを築ける可能性は十分にあります。

Q2: バツ3であることを周囲や親にどう伝えるべきですか?

隠さずに誠実かつ段階的に伝えることが最善です。単に離婚回数という事実だけを伝えると相手の家族に強い不安を与えてしまうため、現在のお相手の人柄や、過去の経験を経てどのように成長したかを丁寧に説明することが、周囲の理解を得る鍵となります。

あなたは「離婚回数」で人を判断しますか?

人生の選択肢が多様化した現代において、離婚の回数はその人の価値や愛する能力を測る絶対的な尺度と言えるでしょうか。それとも、数々の失敗を乗り越えてきた証としての「人間味」と捉えるべきでしょうか。