香川県高松市に本拠を置く親和会。その構成員の実体は、単なる「暴力団員」という記号に留まらない。現在、組織は数件の傘下団体を抱え、総勢数十名程度の規模で推移しているが、この数字には警察当局が把握している「暴力団構成員」と、その周辺に位置する「準構成員」の双方が含まれている。瀬戸内の静かな街裏で、彼らがどのような変遷を経て現在の地位を確立したのか、その輪郭を浮き彫りにする。

孤高の矜持:独立系指定暴力団としての立ち位置

親和会の特異性は、その「血統」にある。日本全国の裏社会が、六代目山口組、神戸山口組、あるいは絆會といった巨大組織の再編と抗争の渦に飲み込まれる中、親和会は一貫してどの広域組織にも属さない「独立系」の看板を守り続けてきた。この事実は、構成員一人ひとりの意識に強い自負を植え付け、四国という限定された地域における確固たる自治意識を醸成している。

もともとは昭和中期、高松の地場勢力が結集して産声を上げた「高松親和会」が前身だ。かつては山口組系組織との激しい領土紛争、いわゆる「高松抗争」を戦い抜いた歴史を持つ。この熾烈な衝突を経て、構成員たちは「自分たちのシマは自分たちで守る」という、外部からの干渉を極端に嫌う組織文化を磨き上げた。現在、指定暴力団として公安委員会の監視下に置かれつつも、香川県内での隠然たる影響力を保持しているのは、この「不退転の歴史」が背景にあるからに他ならない。構成員の総数は全盛期に比べれば減少傾向にあるものの、少数精鋭、あるいは地域密着型という表現が適した、極めて粘着質の高い結束力を誇っている。

内部構造の解剖:誰が「親和会」を動かしているのか

組織の屋台骨を支えるのは、細谷勝彦会長(二代目)を中心とした厳格な序列体系である。構成員の顔ぶれを見ると、古参の幹部層から、地元香川で育った若手まで、世代間のグラデーションが存在する。しかし、いわゆる「半グレ」と呼ばれる新興勢力とは一線を画し、彼らは伝統的な任侠道のパラダイム、すなわち「盃」を通じた疑似血縁関係を重んじる。この縦の糸が、警察による暴力団排除条例の強化という逆風下でも、組織の離散を防ぐ強力なバインド(拘束力)となっているのだ。

傘下には「吉良組」や「光武会」といった二次団体が名を連ねてきたが、これらの組織に所属する構成員たちは、昼間は建設業や飲食業、あるいは産廃処理業といった実業の周辺に身を置くことも少なくない。これは地方都市におけるヤクザの生存戦略であり、地域社会の綻びに巧みに潜り込むことで、その生命線を維持している。当局の締め付けにより、表立った活動は影を潜めているが、構成員同士の連絡網はIT化された現代においても、極めて秘匿性の高い「対面」や「直筆」を重視するアナログな手法を併用しており、その実態把握を困難にさせている。

現代における生存戦略:地方都市での社会的立ち位置

親和会の構成員を取り巻く環境は、年々厳しさを増している。銀行口座の開設拒否、不動産賃貸契約の制限といった法的包囲網は、彼らの生活基盤を根底から揺さぶっている。かつての「街の顔役」としての側面は、今や市民の厳しい監視の目に晒され、その居場所は狭まる一方だ。しかし、ここで注目すべきは、彼らが地域社会から完全に断絶されているわけではないという点である。

地方都市特有の濃密な人間関係の中で、構成員たちは時にトラブルの仲裁役や、法で解決できないグレーゾーンの調整手として、ある種の「必要悪」を装いながら生存を図る。この「浸透」こそが、警察当局が最も警戒しているポイントでもある。構成員個人を見れば、その多くは香川の風土に根ざした人間であり、近隣住民との間には奇妙な「沈黙の共生」が成立しているケースも見受けられる。彼らが抱える実務的な影響力は、目に見える暴力という形ではなく、むしろ地元の経済活動や人間関係の隙間に深く、細く入り込んでいるのである。この歪な共存関係こそが、親和会という組織を現代に延命させている真の要因と言えるだろう。