エルトゥールル号沈没の悲劇

1890年9月16日、台風に見舞われた和歌山県の紀伊大島沖で、オスマン帝国海軍の軍艦「エルトゥールレ・パシャ号」(通称:エルトゥールル号)が岩礁に激突し、やがて沈没するという痛ましい事故が起こりました。

当時、強風と高波にさらされたエルトゥールル号は、航行が極めて困難な状況に陥っていました。船は樫野埼に連なる岩礁に乗り上げ、船体が損傷。機関部から海水が侵入し、やがて水蒸気爆発を引き起こしたとされています。この爆発が船の沈没を決定づけ、22時半ごろには完全に海中に消えたのです。

乗員698名のうち、司令官のオスマン・パシャを含む600人以上が海に投げ出され、救助を待つ間もなく命を落としました。生き残ったのはわずか69名。その後、現地の島民たちが命がけで救出活動を行い、国境を越えた人間の絆が生まれました。この事件は日土(日本とトルコ)の友好の象徴ともなり、現在も和歌山県では毎年、慰霊祭が執り行われています。

エルトゥールル号の悲劇は、自然の猛威と当時の航海技術の限界を突きつけるものでしたが、その後の人的交流は、不幸から生まれた尊い絆の証です。

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