加藤清正の孫・光正の運命

戦国時代を駆け抜けた名将・加藤清正。その血を引く孫が光正(または光広)です。彼は清正の次男・加藤忠広の嫡子として生まれ、熊本藩主家の正統な後継者とされていました。

しかし、寛永9年(1632年)、運命は急転直下します。父の忠広が江戸参勤の途中、品川で突然の改易を宣告されたのです。理由は幕府への不満や内政の失政とされていますが、実際には徳川幕府による外様大名の粛清の一環とも言われています。

これにより、肥後国全域が幕府に没収され、忠広は出羽庄内藩の酒井忠勝のもとに預けられました。そして、まだ若い光正は飛騨(現在の岐阜県北部)へと流罪となりました。名門加藤家の嫡流は、こうして一瞬にして権力を失ったのです。

光正のその後の人生については詳らかな記録が残っていませんが、熊本城で育ったはずの少年が、山奥の地で何を思い生きたのか――その孤独と屈辱を考えると、戦国時代の終焉とともに、武家の栄華と没落の影が確かに見えてきます。

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