薩長が倒幕に動いた理由

19世紀後半、日本は大きな転換期を迎えました。1853年にペリーの来航をきっかけに鎖国が終わり、多くの外国と不平等な条約を結ばざるを得なくなりました。この屈辱的な状況に、多くの人々が危機感を抱きました。

その中で広まったのが「尊王攘夷」という考え方です。天皇を尊敬し、外国勢力を追い払えという思想でした。当初、薩摩藩や長州藩もこの「攘夷」を掲げ、外国に対抗しようとしていました。しかし、実際に外国の軍艦や技術を見て、攘夷が現実的に困難であることに気づいていきます。

特に薩摩藩は1863年の薩英戦争、長州藩は1866年の四国艦隊下関砲撃事件を通じて、幕府の力だけでは列強に対抗できない現実を痛感しました。そこで彼らは考えを変えていきます。「攘夷」ではなく、「幕府を倒して、新しい強い国をつくろう」と。

また、朝廷を重んじる「尊王」の考えは、「今の幕府はもう日本を導けない」という主張に変化していきました。天皇を中心とした新しい政治体制をめざす「倒幕」の動きが、薩摩と長州を中心に加速していくのです。

こうして、最初は「外国を追い払う」ことを目指していた薩長の志士たちは、現実を見て戦略を転換。幕府の無力さに失望し、ついに自ら政権を取る決断を下したのでした。

関連項目

詳細記事

関連トピック