ナポレオン唯一の嫡男、ライヒシュタット公の薄幸な生涯

フランス皇帝ナポレオン1世とオーストリア皇女マリー・ルイーズの間に生まれたナポレオン2世(フランソワ)は、誕生と同時に「ローマ王」の称号を与えられ、帝国を継ぐ者として将来を嘱望されていました。しかし、父の帝国失脚によって彼の運命は大きく暗転します。

敗戦後、母の実家であるウィーンのハプスブルク宮廷に引き取られたフランソワは、フランスから引き離され、オーストリア風に「フランツ」と呼ばれながらドイツ語のみを話して育ちました。ボナパルト派による再興を防ぐ政治的警戒から厳重な監視下に置かれ、手に入れたのは実権のない「ライヒシュタット公爵」という称号のみでした。

父の偉業と思いがけぬ運命の重圧を背負いながらも、政治の道具として扱われた若き王子は、1832年にわずか21歳で肺結核により死去しました。栄光の影で静かに世を去った、悲運のナポレオン嫡男の短く切ない生涯でした。

関連項目

詳細記事

関連トピック