武田氏滅亡後の甲斐国:激動の戦国期から江戸幕府の直轄地へ
1582年、名将・武田信玄らを擁した武田氏が滅亡すると、甲斐国(現在の山梨県)は織田信長の支配下に組み込まれました。しかし、同年に起きた本能寺の変によって織田氏の権力基盤が揺らぐと、甲斐をめぐって周囲の戦国大名による激しい争奪戦、いわゆる「天正壬午の乱」が勃発します。
この混乱を制したのが徳川家康でした。その後、天下人となった豊臣秀吉の時代には重臣の浅野氏らが甲斐に入封し、近世城郭である甲府城の整備が進められます。秀吉の死後、関ヶ原の戦いを経て江戸幕府が成立すると、甲斐国は再び徳川の強い影響下に置かれました。
江戸時代初期の甲斐国は、中心部を治める甲府藩(国中地域)と、富士山麓周辺を治める谷村藩(郡内地域)に分かれて統治されます。特に甲府藩には、徳川将軍家の親族である甲府徳川家などが配され、江戸の西側を守護する要衝として重視されました。
転機が訪れたのは1724年です。甲府藩主であった柳沢吉里が移封されたことをきっかけに、甲斐国全域は幕府の直轄地(天領)となりました。以降、明治維新に至るまで代官による直接支配が続き、甲州街道を通じた流通の発展や独自の地域文化が作られていくことになります。
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