鎖国はどのように完成した?江戸時代の日本が扉を閉ざした歴史
江戸時代、日本が外国との交流を大きく制限した「鎖国」。この体制が最終的に完成したのは、17世紀半ばのことでした。
その大きなきっかけとなったのが、1637年から1638年にかけて起きた「島原・天草一揆」です。この大規模な農民一揆を鎮圧した幕府は、キリスト教が反乱の背景にあると警戒を強めました。これを機に、外国からの影響を徹底的に排除する方針へと舵を切ります。
1639年、第3代将軍の徳川家光は、カトリックの布教に対する強い懸念からポルトガル船の来航を全面的に禁止しました。さらに1641年には、平戸(現在の長崎県平戸市)にあったオランダ商館を、人工の島である長崎の出島へと移転させました。これにより、貿易の窓口が長崎に一本化され、厳格な管理体制が整うことになりました。
こうして日本は、限られた国々とだけ外交・貿易を行う体制へと移行し、約200年間にわたる平和と独自の文化を育む時代へと入っていくのです。
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