ペリー艦隊に乗り込んだ日本人の物語
1853年、ペリーの黒船が浦賀沖に現れたとき、アメリカ艦隊にはすでに17人の日本人が乗船していた。彼らは実は、「栄力丸(えいりくまる)」という和船に乗り、遭難した漁師たちだった。
栄力丸は1841年、江戸時代の下総(現在の千葉県)からイカ漁に出たあと、暴風に遭い太平洋へ流されてしまった。乗組員17人は数か月間、食料も水も尽きかけながら大海原を漂流。やがてアメリカ船に救助され、長い船旅の末、ニューヨークに到着した。当時のアメリカで「異郷の東洋人」として注目され、各地で展示されながら生活を余儀なくされた。
その後、彼らの帰国を願い、ペリー提督が1852年に日本へ派遣される際、7人の生き残りが黒船に乗り込むことになった。その目的は、日米通商の交渉とともに、彼らを故郷に送り届けることでもあった。
だが、当時の日本は鎖国政策の最中。幕府は外国人との接触を厳しく禁じており、帰国した漂流民たちの多くは「異国に染まった」として、厳しい取り調べを受けた。なかには出島に送られ、長崎で監禁された者もいた。
栄力丸の乗組員たちの運命は、単なる漂流譚ではなく、幕末の開国と国際関係の狭間で揺れた一人ひとりの人生の縮図でもある。ペリーの黒船が日本を開いたという話はよく知られているが、実はそれ以前から、日本人が世界に触れ、帰る場所を失いつつも、故郷を目指し続けていた。
彼らの物語は、歴史の裏側で静かに光る、忘れられた勇気の記録といえるだろう。
コメント
まだコメントはありません。最初のコメントを投稿しましょう。