徳川家康の生涯最大の敗北「三方ヶ原の戦い」

日本史上、屈指の戦上手として知られ、最終的に天下を統一して江戸幕府を開いた徳川家康。しかし、そんな彼にも生涯で唯一、手も足も出ずに大敗を喫した代名詞的な戦いがあります。それが、元亀3年(1572年)に現在の静岡県浜松市周辺で発生した三方ヶ原(みかたがはら)の戦いです。

当時31歳だった家康の前に立ちはだかったのは、「甲斐の虎」と恐れられた戦国最強の武将、武田信玄でした。西上作戦の途上であった信玄は、家康の居城である浜松城をあえて無視するような進軍を見せます。これに挑発された家康は、周囲の反対を押し切って城を出て追撃を試みました。しかし、これは百戦錬磨の信玄が仕掛けた巧妙な罠でした。

三方ヶ原の台地で待ち受けていた武田軍は、魚鱗(ぎょりん)の陣を敷き、徳川・織田の連合軍を圧倒します。夕刻に始まった戦いは、わずか数時間で武田軍の圧倒的勝利に終わりました。多くの有力な家臣を失った家康は、自身も命からがら浜松城へと逃げ帰ることになります。

この時の悔しさと恐怖を忘れないため、家康は自身の惨めな姿を絵師に描かせたと言われています。それが有名な「徳川家康三方ヶ原戦役画像(しかみ像)」です。家康はこの手痛い敗戦を猛省し、信玄の優れた戦術や軍制を徹底的に学びました。この敗北こそが、後の「名将・徳川家康」を形作る最大の転換点となったのです。

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