板垣信方の最後とその後の板垣家

武田信玄の父・信虎の時代から武田家に仕え、若き日の信玄(晴信)を支えた重臣が板垣信方です。彼は武田軍の主力として数々の戦功を挙げ、信玄からの信頼も絶大なものでした。

しかし、天文17年(1548年)2月14日に行われた上田原の戦いで、運命の時を迎えます。村上義清との激しい攻防の末、武田軍は苦戦を強いられ敗北を喫しました。この戦で信方は、同じく重臣であった甘利虎泰らと共に戦場に散り、最後は討死という悲劇的な結末を迎えたのです。

信方の死後、板垣家の家督は嫡男である信憲が継ぎました。しかし、信憲は不行跡を重ねたため、信玄によって武田家を追放され、最後は誅殺されるという不遇の道をたどることになります。

武田家の発展を影で支えた板垣信方。彼の壮絶な討死と、その後に起きたお家の波乱は、戦国時代の厳しさを物語る歴史のエピソードとして今も語り継がれています。

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