日本プロ野球の礎を築いた伝説の豪腕

現代のプロ野球では時速160キロを超える快速球を目にする機会が増えましたが、今から90年近く前にも時速160キロに迫る強烈なストレートで人々を熱狂させた天才投手がいました。それが、現在も最高投手に贈られる賞にその名を残す沢村栄治です。

沢村の伝説が世界を驚かせたのは1934年のことです。当時、まだ17歳だった彼は、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグといった超一流のメジャーリーガーを相手に快投を披露しました。落差の激しい伝説のカーブ「ドロップ」と、当時の打者が「球が見えない」と驚愕した圧倒的な剛速球を武器に三振の山を築き、日米の野球ファンに強烈なインパクトを与えました。

近年、当時の映像資料から球速を科学的に分析する試みが行われ、その推定球速は160キロ近くに達していた可能性が指摘されています。スピードガンもない時代に、これほどの速度を叩き出していた事実は驚くほかありません。

しかし、その輝かしい野球人生は戦争によって翻弄されることになります。度重なる応召により、手榴弾の遠投などで生命線である肩を酷使し、かつての剛速球を失ってしまいました。そして1944年、戦地へ向かう途中で27歳という若さで帰らぬ人となったのです。短くも鮮烈な光を放った沢村栄治の偉業は、日本野球の原点として今もなお語り継がれています。

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