ナポレオンはいかにして王座を追われたのか?

フランスの英雄として一時代を築いたナポレオン・ボナパルト。彼が皇帝の座を失うことになった最大の要因は、大陸封鎖令ロシア遠征の失敗にあります。

当時、最大のライバルであったイギリスを経済的に追い詰めるため、ナポレオンは欧州大陸の国々に対してイギリスとの貿易を禁じる大陸封鎖を発令しました。しかし、この政策は各国の反発を招き、特に従わなかったロシアへの遠征を強行することになります。厳しい寒さとロシア軍の戦術により、フランス軍は歴史的な大敗を喫しました。

勢力を弱めたナポレオンは1814年に最初の退位に追い込まれ、エルバ島へ流刑となります。しかし、彼の情熱は衰えませんでした。翌1815年に島を脱出し、奇跡的な復権を果たして再び皇帝の座に就きます。

この劇的な復活劇も長くは続きませんでした。決戦となったワーテルローの戦いで連合軍に敗北し、彼の執政はわずか「百日天下」で終わりを迎えます。最後は南大西洋の孤島セントヘレナ島へ再び流され、その地で静かに生涯を閉じました。

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